今の子供は親とは別に住まいを構えており、親の家を相続してもそこに住まないので空き家が増えています。ということは、家を建てたり買ったりするときに子や孫の代まで住み継ぐという考えはもはや不要になってきております。
そのような状況で考えると家は自分たち夫婦が生きている間だけ使えればいいのだから ”100年住宅„ は無用の長物で不要になってきております。
長期の住宅ローンを組んでまで家を所有したいと思うのは、その家での暮らしが子や孫の代まで引き継がれていくという思いがどこかにあるからでないでしょうか?少なくとも子供たちは、故郷である ”実家„ をいつまでも大切にしてくれるという期待があるからではないでしょうか?
核家族社会では、子供と一緒に暮らす時間を長くても30年とすれば、住宅ローンが終わり完済した時には、4LDK2階建ての家に夫婦2人だけが住むことになり、なんともわびしい光景である。
”家余りの時代„を迎えて郊外にある実家は子供たちにとってはお荷物となりつつある。終の棲家は、郊外の土地付き一戸建ては打ち止めとなり、家族の器である家はどの様に変わっていくのでしょうか?
月日があっというまに過ぎてしまう新婚時代や何かとあわただあしい子育て期間が終わり、働き盛りの壮年期は責任も重くなり、転勤もある可能性も高いことから、人生の前半は住み替えが容易な賃貸住宅を選択して、定年が近づき十分な頭金と少ないローンで家を買うという選択肢も有り得るのないでしょうか?
家はその時々のライフステージに合わせて選ぶ、単なる生活の器、暮らしの道具に変わっていき、あと何年かすれば、戦前まであった家制度の ”家„ が衰退消えていく事になるでしょう。
しかし、本当にそれでいいのでしょうか?家族の繋がりである ”家„まで失うわけにはいかず、”家„が持っている確かなものを住まいの中に見つけなければならない、なぜなら住まいは家族の器であり、家族は社会の基盤だからであります。